壊さない
ことにした
作り手の記録
GRACE HOME(株式会社阿部建設)
ナカツの器

最初の判断は、一瞬で決まった。
解体見積もりを手に持ちながら、私はこの建物の前に立っていた。
六十年以上の時間を生き延びた柱と梁が、壁の向こうにある。
それを知った瞬間、見積もりを折り畳んだ。
Prologueはじまりの判断
最初に現地を見たとき、正直に言えば、条件は良くなかった。外壁は汚れ、内部は暗く、床はあちこちが軋んだ。隣の建物との隙間は手が入るかどうかという幅しかなく、搬入ルートも限られていた。それでも、柱だけは違った。
壁を一枚剥いだとき、太い木の柱が現れた。黒ずんで、節があって、決して「きれいな」材ではない。だがその存在感は本物だった。何十年もここに立ち続けてきた重さというのか、触れると手に伝わってくるものがある。私はその感触で、方針が固まった。
「この骨を、生かす。」 それがこのプロジェクトの出発点だ。設計図より先に、その一文があった。

01 通りとの関係まちに、開いていなかった。
施工前、この建物はまちに対して完全に閉じていた。シャッターが下り、採光も通風も最小限に抑えられた構造で、通りを行き交う人と建物のあいだには何の接点もなかった。それ自体が、この地域の問題を象徴していると感じた。
だから「開く」ことを、最初の設計原則にした。一階の正面をできるだけガラス張りにし、通りから中が見えるようにする。人が中で動いていること、灯りがついていること、誰かがそこに居ること——それが街路に伝わるようにしたかった。
ただ、ただ開けばいいわけでもない。視線が通りすぎるだけになれば、それはショーウィンドウに過ぎない。入りたいと思わせる「奥行き」をどう作るか。外と内の境界をどこに設定するか。その調整に、かなりの時間をかけた。

02 柱の判断隠すか、見せるか。
柱を残す判断は早かったが、「どう見せるか」には迷った。無骨なまま出すのか、塗装を施すのか、照明で演出するのか——何もしないことが最善だとわかるまでに、いくつかのサンプルを試した。
削り直して表面を整えたサンプルは、きれいだったが軽くなった。塗装したものは、木が死んだように見えた。結局、大工が手で磨いただけのもの——油分が出てきて、年輪が浮かび上がる、その状態が一番だった。
あとで聞いたら、大工も迷ったという。「こんなにそのまま出していいのか」と。でも完成して、テナントが入って、お客さんが来るようになってから、誰もがこの柱に触れていく。それを見て、やはり正しかったと確信した。人は本物に引き寄せられる。

03 松の梁、予想外の主役天井を、取り払った日。
二階の天井を壊したとき、思わず手が止まった。松の梁が、予想以上の密度で架かっていたのだ。節が多く、木目が暴れている——材木屋なら「難あり」と評価するような材だが、私にはそれが良かった。
「これ、残しましょう」と言ったとき、現場の職人が少し困った顔をした。梁の間に断熱材を入れる施工が複雑になるし、照明の配線を通す場所も限られる。でも、「難しい」というのは「不可能」ではない。手間がかかる分、やり切ったときの納まりが違う。
完成した二階で松の梁を見上げると、光の当たり方が時間によって変わる。朝は白く、昼は黄みがかり、夕方は赤みを帯びる。天井が「生きている」と感じる。これは、新材では絶対に出ない表情だ。工事の苦労は、この瞬間のためにあったと思っている。

04 断熱という難題古い木と、現代の性能。
古民家再生で必ず議論になるのが断熱だ。柱を見せたい、梁を残したい——そう言いながら、現代の生活水準に必要な断熱性能を確保しなければならない。この二つの要求は、構造上、真正面からぶつかる。
採用したのは「内断熱」の考え方だ。外壁の表情はそのまま保ちながら、内側に高性能断熱材を充填する。外から見ると昔のまま、中に入ると現代的な快適さがある。施工的には手間のかかる方法だが、この建物には他に選択肢がなかった。
夏の最中に完成内覧をしたとき、来てくれた人が全員「涼しい」と言った。それが一番の答えだと思っている。性能の数字より、「感じる」ことの方が正直だ。建物というのは、最終的には体で受け取るものだから。

05 光の設計影を、作りに行く。
照明計画の打ち合わせで、よく言うことがある。「照らすのではなく、影を作りに行く」と。光は当てるだけなら簡単だ。難しいのは、どこを暗くするかだ。
グリッド状の窓を設けたのも、同じ発想からだ。直射光をそのまま入れると、木の質感が飛んでしまう。窓の割り付けで光を分けることで、時間帯によって床への落ち方が変わり、空間に奥行きが生まれる。光の動きそのものが、空間の演出になる。
「こんな細かいことまでやるんですか」と現場に言われたこともある。だが、来店したお客さんが「なんかここ、落ち着く」と言うとき、その「なんか」の正体は大抵こういう細部の積み重ねだ。理由を説明しなくていい。体が感じてくれれば、それでいい。

06 ガラスの床という提案怖いくらいが、ちょうどいい。
二階の床の一部をガラスにしようと提案したとき、最初は「本当に大丈夫か」という顔をされた。強度の話ではなく、心理的な話だ。踏んで大丈夫なのかと誰もが思う。
だが、それがいいのだ。少し怖い、でも踏んでみると意外と平気、そして下が見える——この体験の連鎖が、建物を「記憶に残るもの」にする。建築は機能だけではなく、体験だと思っている。その空間を通過したとき、何かが残るかどうかが大事だ。
施工は大変だった。ガラスの納まりと木の床材の接続部分の処理、アンカーの位置、荷重計算。それでも職人が丁寧に仕上げてくれて、完成したものを初めて踏んだとき、「これだ」と思った。怖くて、でも踏んだら気持ちいい。それが正解だった。

「残す」と決めることは、
覚悟を決めることだ。
新しく建てる方が、ずっと楽だ。
それでも古い骨格に向き合うのは、
そこに時間が宿っているからだ。
作ったものが、いつかまた誰かの「残す」を引き出す——
そういう仕事がしたい。
07 橙和が入ったとき器に、中身が入った。
建物が完成して、最初のテナントとして橙和が入ったとき、空間が変わった。正確には、空間が「完成した」と感じた。
作る側からすると、建物は完成引き渡しの瞬間が「完成」だ。でも本当は違う。人が入り、物が置かれ、灯りが点いて、初めて建物は完成する。橙和の灯りが点いた夜、通りから見たとき、建物がようやく息をし始めたような気がした。
あの柱に照明が当たり、お客さんの影が壁に映る。設計中に頭の中で描いていたものが、そこにあった。作り手として、これ以上の瞬間はない。

08 チャレンジショップの設計思想「始めやすい場所」を、設計する。
チャレンジショップの発想は、建物の設計と同時に生まれた。この建物が「器」ならば、入る中身は固定しない方がいい。何かを始めようとしている人が、試せる場所にしたかった。
「始める」ことの最初の壁は、物件だ。初期費用、契約条件、内装工事——それだけで多くの人が諦める。だからチャレンジショップでは、そのハードルをできるだけ下げることを意識した。空間はすでに仕上がっている。あとは「やってみる」だけの状態にしておく。
設計する側として言えば、「始めやすい場所を設計する」というのは新しい課題だった。機能だけでなく、心理的な「入りやすさ」を空間に組み込む。スケールを小さく、動線をシンプルに、目が届く範囲に収める——そういう配慮が、勇気を出す人を後押しすると信じている。
この建物を作った職人たちが、次の誰かの「最初の一歩」を支える場所を作った。その事実が、この仕事の意味だと思っている。

09 作り終えて次に誰かが、ここを変える日まで。
作り終えた建物というのは、不思議なものだ。手を離れた瞬間から、もう自分のものではなくなる。誰かが入り、誰かが使い、誰かがその空間を自分のものにしていく。それを少し遠くから見ているのが、作り手の立場だ。
ナカツの器を作りながら、何度も考えたことがある。六十年後、誰かがまたこの建物の前に立ったとき、「壊さないことにした」と思ってもらえるだろうか、と。今の私たちがそうしたように、未来の誰かが、今の仕事を「残す価値がある」と判断してくれるかどうか。
そのために、手を抜かなかった。見えない部分ほど丁寧に納めた。施工のクオリティは、写真に映らない部分にこそ現れる。床の下、壁の中、天井の裏——そこを見た人間だけが知っている仕事の密度が、建物の寿命を決める。
中津の街が、少しだけ変わった。それは大げさではなく、ひとつの建物が通りに灯りを返したという、ただそれだけのことだ。でもそれが積み重なっていくことを、私たちは信じている。












